<ひめはじめ7>
1/12(Fri)
クリープハイプ【ONE MAN】
クリープハイプのLIVEを観るのは、昨年3月の幕張メッセ以来。その幕張メッセの会場に入った瞬間に、この中にDaisyBar何個入るだろう、などと考えたりもして、その広さに圧倒されたのだけれど、その幕張メッセをソールドアウトさせるクリープハイプが、こうして今年もDaisyBarに還ってきてくれLIVEを行う。あらためて凄い事だ。と、言う事で今年も「ひめはじめ」開催。そして今年はなんとワンマン。更に、蓋を開けてみたら通常の単独公演と同様のボリューム。もう贅沢過ぎる。そのLIVEを観て感じた事は、幕張メッセのLIVEから一年も間隔は空いていないのだけれど、更にバンドが新しくなっている様な、音楽的にもバンド的にもチャレンジし続けて、そこに留まっていない姿。幕張メッセでのLIVEを観た時に、一つの集大成でもあるなとも思ったのだけれど、コロナ禍での中止からの三年を経て、その時代だからこそのリアルタイムな感動が大きかった。変な言い方になってしまうけれど、幕張メッセ規模のアリーナで一つの完成型を示して、それを繰り返して行く様なあり方もあるだろうし、それでもリスナーは満足だろうし、そういったありかたもよいと思う。けれど、クリープハイプにとって本当にそのアリーナツアーは通過点の一つだったんだなとこの日のLIVEを観て実感。クリープハイプは、日本のロックの中で一つの型というか、音楽的文法というか、そう言ったものを作りあげたバンドだと思う。日々、こうして下北沢で新しく生まれてくるバンドを観ているとそれを強く実感する。しかし、クリープハイプ自体はきっとそんな事を思っていなくて、まだまだその先を目指しているのだろう。LIVEでのオーディエンスとのコミュニケーションでも、実際にはオーディエンスに委ねてる部分も多い。これに乗れば、こうした効果が得られますよ、みたいな安易なモノは無い。だから、ひめはじめ特有の(というのか)会場の雰囲気、オーディエンスのリアクションは、目の前に起こっていること、鳴っている音をしっかり焼き付けようという気持ちも当然あるのと同時に、クリープハイプとお客さん一人一人のそれぞれの繋がりというか、それぞれに受け止め方があるからだとも思う。そこにクリープハイプの普遍性を感じる。リスナーそれぞれの視点、角度から解釈や意味を汲み取れる普遍性。だから、幕張メッセでも集大成的な要素というよりも過去の曲が同時代性を帯びて響いていたし、この日も同じ様ににそうだった。DaisyBarでこの曲やってくれて嬉しいな、とか、超個人的なノスタルジーや、思い入れをこちらで勝手に紐付けて聴いていたりもしたし、心を揺さぶられたりもした。けれど、それは、同時に常に今の気分というか、2024年に生きる私の感情でもある。そしてそこにリアルに響いてきているものだ。そうした事がリスナーの数だけあるだろう。こちらのノスタルジーを許容しながら、且つザクザクと先に行く。先を行き続けるクリープハイプ、相変わらずカッコいい。こうした小さなDaisyBarでの限られたスペースや演出の環境の中でもきっちりとそのパフォーマンスを伝えきるロックバンドとしての生々しさとタフさ。いろいろな感情や刺激が交錯しつつ、夢の様でもあり、リアルにビシビシと響いてくる。そんな最高の時間だった。(加)