<DaisyBar Autumn Fes 2014 ~LIFE GUARD presents“激情ペレストロイカVol.17”~>
11/22(Sat)
LIFE GUARD / the mantle brothers / ザ・ビートモーターズ
そもそもロックとは何ぞやという問いはあるとして、何かに対してアンチだったり、アゲインストだったり、というかそういうエネルギーを源にしているのもが元々のロックだと思うし、天下国家を語ったりするロックがもっとあってもよいかなと思う。40歳代半ばの私の様な世代の人間は、60年代、70年代の政治の季節が過ぎ去った、80年代に十代を過ごして、学生運動云々なんかも、小説や、映画の中で語られる程度で、日本もバブルに向かって豊かになって行く時代で、何かに対してのアンチというか、「反」何とか!、みたいなモノは言いにくい時代というか、「反」何とかみたいなモノは、物事を単純化しすぎて何かカッコ悪いなと個人的にも思っていたし、時代的にもそういう風潮 はあったと思う。只何かに対してNOというエネルギーみたいなモノは時代の中にも、個人にもあって、それをどうやって表現するかと言うのが、ロックだった様な気もする。そして、別に世の中変わんないよと思いつつ、何か変えたいと言う感覚はあった気もする。だから、RCサクセションが、カバーズをリリースした時は、あまりにもストレートで、何となく個人的にも、あれ?って感じは無くはなかった。清志郎の格好良さは、その時代にそれを出来てしまえた事なんだと今更ながらに思うけど。話がかなり逸れてきたので話を戻すと、というか、そもそもなんでこんな事を書き出したかに戻ると、LIFE GUARDのライブレポを書こうと思っていた訳です。LIFE GUARDのライブを観て、いろいろ考えていたら、ついついこんな事を考えてしまったのでした。ホントに何というか、こう言う、ロックとは何ぞや、パンクとは何ぞや、みたいな事を感じさせてくれるバンドというか、考えさせてくれるバンド。2014年の現在、30年前の日本と比べ、様々な経験を積んだ日本で、何を唄うのか、と言うのはあると思うし、LIFE GUARDは、そういうことを肌に感じながらやっているバンドでもあると思う。元々、世の中に対し苛立ち、怒っているバンドで、世の中に対して「NO」を言ってきたバンドだと思う。そもそも、イベントタイトルが<激情ペレストロイカ>。革命ですよ。イベント名からして80年代な政治の匂いが漂う訳です。それもボーカル村本個人の意見もあると思うけれども、やはりロックとは、パンクとはそうあるべきだし、と思う部分もある。そうしたパンク的部分で突き進んで来た部分も多かったけれど、最近では、その村本のパンク的アプローチに加え、ギターのボブのハードロックというキーワードをLIFE GUARDに取り込んだ事によって、少しまた、彼等のバンドとしての幅が良い意味で広がったと思う。ボブが、過去のロックスターのステレオタイプを演じつつも、本気で早弾き最高だと思っているし、思わせてくれるし、彼がギターを弾かざるを得ない意味みたいなモノを凄く体現している。そうしたメンバーが、様々なロック観を持ちつつ、ロックはこうあるべしという、メンバーそれぞれの思いを、それぞれがステージ上に乗っけながら、ぶつけ合っている感じ。この日のライブでもそうだったけれど、ボブのハードロックMCコーナーで、村本が突っ込みを入れ、村本がパンクと言えば、ボブはハードロックだと言うという、お互い突っ込みを入れつつという形で、ある意味そういった客観性が出て来ていると思う 。その中で、村本もMCで、時事ネタも話しはするけれど、そこから政治的な立ち位置が見られるかと言うとそうでもない。この日、大盛り上がりするフロアを煽るLIFE GUARDのライブを見ながら感じ取れたのは、世の中クソかもしれないけど、ライブ来たら楽しいだろ、だから明日も頑張ろうぜ、と言う事。それも、地元の相模原、町田の友人に向け、そこから更に世界へ向け、メッセージを送り続けているそんな感じ。NOというエネルギーを源にしながら、ある意味世の中肯定している様な、そういう粋に入ってきた事を感じさせてくれた。それでもやはり、イベントタイトル通り、世の中変えてやるぞ、という思いは強く感じるわけで、その為に、少しづつバンドも変化しているのだと思う。そうした貴重な王道ロックバンドのLIFE GUARD、これから更に期待が高まる、そんなライブだった。