2025年1月12日
ちゃくら緊急単独公演~私たちは元気です~
ちゃくら【ONE MAN】
この日は、「下北沢武者修行特別編 男性女性限定ライブ 決戦、第3新下北沢」と銘打って、ちゃくらが対バンを招いて、来場者を男女にそれぞれ限定しての二日間連続企画ライブ、その二日目、ペルシカリアを招き女性限定でのライブ予定であった。しかし、残念ながらペルシカリア、メンバーの体調不良の為、開催前日に延期が決定。イベント自体は延期となったのだが、空いた一日を使い、急遽ちゃくらのワンマンが行われる事に。チケット代1000円。この日、下北沢へ気持ち的にも物理的にも向かってきているオーディエンスに対して、ちゃくらとしての一つの回答。こうした状況が起こった際に、何が正解かなんて言う事はないし、誰もが納得できる答えというものも無いだろう。だからこそ悩んだと思うけれど、短い期間で考え決断し結果生まれた一日。前日にイベントの延期が決まり、ほぼ24時間前に発表されたワンマンと言う事で、当日券のみの一発勝負。実際蓋を開けるまで、まったくどうなるか分からない状況ではあったけれど、当日は、しっかりとDaisyBarをフルでオーディエンスが埋め尽くしてくれた。そして入場出来なかったというお客さんも無く、出向いてくれた方は全員DaisyBarに入場もでき、まさにJUST。これがオーディエンスからのちゃくらへの回答でもあり感謝でもあったと思う。この2days企画以前、ちゃくらのDaisyBar出演は2023年、大晦日まで遡る。約一年振り。この一年で活動の幅も広がり、大きくなっていた彼女達。一年振りに見る彼女達のパフォーマンスは、芯が更に太くなり演奏にも貫禄がつき、ライブバンドとしての成長ぶりも目覚ましいものがあった。そして勿論彼女達ならではのJUST DO IT、まずはやっちゃえ感もしっかりとあって、会場もグッドバイブスに包まれた。そして前日のライブ「まるで駄目な女子高生はバンドマンになった」前のMCで、この「コロナに奪われた私たちの逆襲だ」と言う歌詞は、筆者が彼女達に語った言葉だったと聞いて、思わず、グッときてしまった。記憶は定かではないけれど、彼女達のライブを見ていてそう思っていたのは事実。コロナ禍は彼女達の世代からわかりやすく自由を奪っていた。そして彼女達がDaisyBarに出演し始めて、ガンガンライブをして行く姿を見て、その反動的パワーを感じた。様々なことがクリーンになってきた令和の時代に十代を過ごした彼女達。そして尾崎豊の「卒業」や「十五の夜」的な価値観で育ってきた昭和生まれバリバリ育ちの五十代男である筆者とではいろんな事が違いすぎる。けれど、彼女達の楽曲を聴いて、どこか共鳴する部分があって、その一つが、その自由への欲求なんだろうな、とこの日のライブを見て思った。盗んだバイクで走り出せていた我々の世代の方が、まだわかりやすさはあったのだろうけど、複雑さが増しバイクを走らせてみた所で、な、この時代、彼女達にとってはそれがバンドだったという事なのかも。ここ数年、ティーンの子達がバンドを組むことによって、自己実現し、全てを昇華してゆくというストーリーが、映画でもアニメでも音楽でも多く語られる様になった。この楽曲も、そうした文脈なのかも、と単純に思ってもいた。しかし、この日、この楽曲をライブでの立体感あるパフォーマンスでみて、そうした一連のストーリーとはまた違う、ここで何かが昇華された訳でなく、原点としての宣戦布告的なロックンロールだと感じた。ロックンロールは、誰かに力を与えるのと同時に誰かを傷付けてしまうしれない。そうした認識と力強さ。彼女達の逆襲もまだ始まったばかりだし、彼女達のストーリーもまだまだ始まったばかり。その冒険に目が離せない。急遽決まったワンマンではあったけれどあらためてそんな彼女達の覚悟とパワーを感じた一夜だった。(加)