TENGUSTAR、この数年、DaisyBarのスケジュールで彼等の名前を見なかった月は無いであろうと言うぐらい、DaisyBarでLIVEをし続けてくれているバンド。彼等とDaisyBarの歴史もすかっり長くなってきた。彼等がDaisyBarに出始めた時は、まだボーカルの原田諭も十代だったし、そこからギターが増えたり減ったりベースが替わったりもしながら、現在に至る。そして、この日は、現在のメンバーとなって制作した初のデモ音源のリリースを記念してのイベント。彼等が、自ら数年振りに音源を録るに至ったのには、この現在の3人で音を録りたい、と思えるくらい、バンド状態が良いという事も理由の一つだろう。それはこの日のLIVEを観てもヒシヒシと伝わってきた。彼等の音楽は、いわゆる「今」の音楽で は無いかもしれない。只、その「今」と言うのは、どこを切り取ってそう言っているかというと、バンドという村の中の、また小さな下北沢を中心とした、ギターロック的な歴史と文脈の中での「今」という事。彼等はずっとDaisyBar、下北沢で活動してきている訳なんだけど、そうしたギターロック的な文脈や型にはまらず、かと言ってロックンロールではあるけれど、3コード、リフ一発という訳でもない。やはり、TENGUSTARの中心、軸にあるのは、原田諭の作り出す、ポップ、ロックソングの王道感溢れる曲であり歌である。その王道感というのを、どうやって説明したらよいか分からないけど、郊外の国道を、高校卒業して免許取ったばかりの地元の同級生と、深夜目的も無くドライブしていたあの時、ラジオから かかってきて、思わず会話が止まって、一緒に聴き入ってしまったあの曲や、あんな曲の様な、我々の原風景の中に鳴ってる曲。それはメロや曲の構成などもあるのかもしれないけれど、クソみたいな世界や、日常からいつか逃げ出したいと願いながら、その世界や、日常を受け入れて行く様な、日本、そして世界中どこにでもある郊外の、そこで生活する者が抱く思いを映し出す歌詞。そうした歌詞がポップなメロでキッチリと唄われる時、そこにロックやポップミュージックの王道を感じてしまう。これまで、そうした楽曲をバンドというミニマムな形式でアウトプットしながら、そこにバンド自体が追いつけないジレンマがあった様に思う。しかしこのLIVEで、バンドとしての表現力がいよいよそのポップネスに 追いついて来出したと感じた。まさに渾身のパフォーマンスで、そして感動的だった。それは、フロアーを埋め尽くしたお客さんも同じ様に感じた様で、予定外のダブルアンコールを求める声がそれを証明していた。TENGUSTAR、よく考えると、自分達を語る物語はいくらでもあるバンドなのだけど、普段あまり自らを語らなくて、その辺のエモさが無いのが、個人的には「今」ぽいと思うんだけど、この日は少しだけそうしたMCもあったりもした。これまでは、まだ、自分達を語るほどでもないと思っていたのかどうか分からないけれど、あらためて、新たな物語のスタートラインにTENGUSTARが立ったのは確かだ。どのシーンにも属さない様な彼らが、これからどんな景色を作ってゆくか、期待溢れる一夜だった。(加)