ロックやポップミュージックを語る際に「半径5メートルのリアリティ」という言葉がある。(今もあるかわからないけれど)特に90年代に使われていたと記憶している。ざっくり言うと世界平和とか、正義とか、大風呂敷を広げてしまうと、結局アメリカのヒーローみたいにその為に街一つ破壊しちゃたり、結局お節介でしかないんじゃないだろか、そういう世界平和とか唄う前に、ポップミュージックは自分の半径5メートルのリアリティに向き合ってこそではないか。と、いうもの。何故そんな話を始めたかというと、この日の三組のライブを観て、三組それぞれの「半径5メートル」の視点を感じたから。この日は2ヶ月に渡って行われたDaisyBar18周年月間の最終日。こうした一つの世代のタレント3組が顔を合わせこのDaisyBar18周年を締め括ってもらえるのはありがたいかぎり。出会ってまだ間もないと思っていたけれど、よく考えたら、それぞれ少し幅はあるけれど(メンバーの以前のキャリアから考えたら)もう5〜7年くらいの付き合いになる。世代とかあまり関係ないとも思うけれど、やはり彼等の世代だからこその世界の捉え方もあるだろうと思う。同じ時代を共に過ごし、表現している3組。まず、すなお。ボーカルギター大畑カズキの透明感ある歌声と言葉がフューチャーされるスローテンポ、ミディアムテンポな楽曲。そんなすなおの楽曲は、その半径5メートル、あなたと私の間を、心地良く、カンファブルにチアフルなものにしてゆこうよ。と、いう問いかけにもきこえる。外界のハードさは当り前にあるけれど、そこは気にしなくてよいよ、というある意味の楽観性が流れているようにも聞こえ、こちらの気持ちをリフトアップしてくれる。そして二番手に登場は、SuU。彼等のライブを観ていると、その楽曲の中の登場人物がその「半径5メートル」の中で、この世の終わりをゆっくり眺めている様な、この世の果てにいるかの様なそんな景色が目に浮かぶ。だからと言ってネガティブな訳でなく、世界は終わりに向かってゆくという現状認識の中だからこそ、続いて行くことがあるいう事を、浮かび上がらせる。所謂セカイ系というような世界観ではなく、もっと生々しくリアルを感じさせてくれ、そこに彼等の美しさを感じた。そして、トリはCRYAMY。この日の二週間前、Chase主催のサーキットでも、そのイベントを締め括る大トリ枠でDaisyBarに出演。その際も2月のDaisyBarでのレコ発イベントの濃厚なパフォーマンスを思い起こさせるライブで、更にその物語の続きを見せてくれた。そして、間髪入れずにこの日の3マン。この日はまた二週間前とは異なるアップビートな楽曲で、畳みかけるライブを展開。行く手を遮るものをなぎ倒しながら進んでゆく様な怒濤のロックンロール。当然その「半径5メートル」の中では軋轢や摩擦が起こる。その摩擦係数が否応なく上がってゆくことで、それを更にエネルギーに変換して行くパンクロックでありオルタナティブロック。そして、その先の道を切り拓き、パーソナルなイシューを普遍的に昇華させその外界へエネルギーを放ってゆく。この日カワノがMCで彼等CRYAMYのドキュメンタリーの撮影がSTARTしたことをアナウンス。その際に、今、バンドがベストな状態で、それを残しておきたいという様な趣旨のことを語っていた。そのクールな客観性も彼等らしいと思ったし、今の彼等のライブの勢いは、彼等自身がそう語るだけのものであり(個人的にはCRYAMYのベストは何度もやってくると思うけれど)、この日もそんな圧巻のライブで見事にイベントを締め括った。そして、すなお、SuU、CRYAMYと同じ世代の三組のそれぞれの視点をこうして一度に体感する事で、今いる景色がより立体的にみえてきた。SNSなども登場し「半径5メートル」は拡張し続ける。そんな現在に於いてのどの様に外界へとアクセスしてゆくのか、そうした、その先への意識もあらたにできた一夜だった。(加)