CRYAMY pre. 『GOOD LUCK HUMANs-1st maxi single「FCKE」release live-』

この日はCRYAMYの1st maxi single「FCKE」、リリース記念ライブ。そして出演者としてクレジットされているのがKawano Solo with his friends Set(カワノの個人バンド)、真空仏陀契(本来はカワノでは無いとの事)、カワノのソロ弾き語り、そしてCRYAMY。カワノがステージ出突っ張りという内容。ソロバンドや、真空仏陀契は、純粋にこのリフ使ってみたいよねーとか、こうした言葉を唄ってみたいよねー、を躊躇なく表出することによって起こる何かを楽しんでいる、そんな様子。カワノのインプット量とそこからのアウトプット量にあらためて驚かされた。そして、CRYAMY。この日こうしたソロや真空仏陀切があった事で、CRYAMYの密度が増したというか、より純度が高まった様にも思えた。CRYAMY登場前、そこまでステージに出突っ張りであったカワノが一旦ステージを降り、バンドのセッティングから音出し。それだけでもう、この日が特別なものになるであろう予感がヒシヒシと伝わってきた。そしてカワノも登場しその熱は更に高まって行き、フロアもその熱を一気に受けてまた燃え上がり、またそのフロアからの熱をバンドが受取り押し返す。ここDaisyBarならではのダイレクトさも相まってライブ全体のGroove感は圧巻。各自が自分の頭で考えて、行動して、自由に楽しむ。そして隣りで困っている人がいたら助ける。私自身がロックンロールを聴いて受け取ってきたことの一つはこういう事だ。それがこの日のフロアにはあった。カワノのMC中で、昨年はCRYAMYにとってかなり厳しい時期であったことも語られた。そうした中でマネイジメント体制の変化に関しても率直に語っていた。しかし、一旦バンドが音を鳴らしはじめると、そんなあれやこれやも含め一気に蹴散らしてゆき、どうでもよくなる。いろいろな事があるけれど、この瞬間がすべてとでもいう様な刹那を見せつける。そうしたパフォーマンスは、CRYAMYがこのハードタイムの中で新たに何かを掴み獲って、そしてステージに還って来た、そのことをしっかりと証明していた。バンドもリスナーも政治的だったり社会的だったりな縛りに振り回されてきた数年間であった。その数年間、この中で得てきたものも確かにあるのだけれど、失ってきたものも多い。その喪失を我々はどうやって克服、もしくは受け入れて、やってゆくのか。CRYAMYの姿をみて、そんなこともふと考えた。そして、その答えとは言わないけれど、その再生の一つのストリーを目撃しているのだと実感し、胸が熱くなった。そしてこの日、新曲含め、これまでの音源がストリーミングサービスで解禁されることが発表された。これまでCDに拘り、ストリーミングに音源を上げていなかった彼等だけにその決断にもかなりの逡巡があった筈。只、そこには多くの人に聴いて欲しいというシンプルな想いがあっただけだと思う。そして少し乱暴な言い方にはなってしまうけれど、ロックンロールとはそういうものだ。転がり続け、変わらないものでもあるし、矛盾し続け、それを受け入れて変わり続けるものでもある。そして前言は常に覆す為にある。まさにCRYAMYはそうやって転がり続ける。我々はそんなバンドをリアルに体験し、勇気づけられたり、考えを巡らしたりし続ける。これぞロックンロール。そんな重要なタイミングで、ここDaisyBarでLIVEを開催してくれ、そしてまた素晴らしいパフォーマンスを見せてくれたCRYAMY。あらためて本当に感謝。(加)